2018/02/07 00:00
連載第2回目をお送りします。懲りずにまた覗いてくださってありがとうございます。とても嬉しいです。
連日、多くの方がこのサイトを見てくださっているようで (来客数がわかる仕組みになっています)、サイトを公開するまで色々なことが難しくて頭を抱える日もあったけれど、もがいてもがいて、とにかく始めてみて良かったなと思っています。
今日は時代劇の撮影がお休みだったので、日本舞踊のお稽古に行って来ました。月に4回ほどのお稽古で、弟子は一人ずつお稽古していただくものですから、それぞれの時間が限られます。私が今回踊らせていただく演目『京鹿子娘道成寺』は40分ほどある大曲なので、全て踊ることはせず、少しずつ区切って師匠にみていただきます。今日は練習用の着物でたったの15分踊っただけなのに、汗が身体中から噴き出していました・・・。こんなことで本番踊りきれるのかと不安が募りますが、道成寺を踊ったことのある先輩方にお話しを伺うと、どうやら本当に大変な演目だそうです。酸素ボンベを舞台袖に準備される方もいらっしゃるのだとか。いやはや、まず体力づくりをしっかりせねば。
日本舞踊を本格的に始めるまで、こんなに身体を使う舞踊とは思っていませんでした。
思い返すと宝塚音楽学校時代、日本舞踊の授業がありました。(10代の頃から日本舞踊に触れていたわけです。) それまでクラシックバレエしかやって来なかった私は、どうも日本舞踊のセンスに乏しかったようで、何をやってもバレエになっていました。着物を着ても、歩き出すと裾が広がってロングスカートのようになっていましたし、正座をするとすぐに耐えられなくなって一人モゾモゾしていました。そのまま日本舞踊とはなんなのか、わけのわからないまま劇団へ入団、初めての日本物公演のお稽古中、先輩方が私のあまりのセンスのなさに、口をあんぐり開けていた姿が今でもすぐに思い出せます・・・。多くの方に多大なるご指導をいただきつつ、なんとか公演をこなして来ましたが、さて。
宝塚を退団し、自分は何をやって行こうかと考えたとき、女優というお仕事の中でも、特に時代劇に興味が湧いて来ました。センスのなさは自覚していましたが、周りの方の「せっかく着物が似合うのだから所作をきちんと身につけるべき」という勧めもあり、(実は)半ば流されつつ、師匠に弟子入りしたわけです。
日本舞踊とは何か、そういうこともお話ししたいと第1回目で書いていましたが、どうやらこのサイトには文字制限があるそうで、これ以上書けなくなってしまったのでひとまずこの辺りでおさめたいと思います。
この調子じゃあ、第4回では終わりそうになくなって来ました。こうして日本舞踊についてだけを書ける場を作ったら、自分が思っていたよりも書きたいことがたくさんあるようです。もしよろしければ、しばらくお付き合いいただければ嬉しいです。
では、また次回。
すみ花